昭和の残像(13)

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芦屋川は六甲山の東南山麓を流れる川で、傾斜が急なことから土砂の堆積が多い天井川である。
こうした河川の特徴である両岸の松並木が、落着いた雰囲気の景観をつくって、格好の遊歩道に
なっています。



●ルーペ眼鏡で昭和へタイムスリップ

昨今、老眼がすすんで小文字の文庫本を読むなんてもう到底ムリムリ、と思っていましたら、
今年になってブロ友evelynさんのお薦めで、ルーペ眼鏡が入手できました。

ある日、その眼鏡で図書館の書架を漁っていたところ、驚くほど大文字の単行本を発見しました。
それは大活字書籍でしたから、これを1.6倍の眼鏡で読んだので、おそらく文庫本の3倍はあった
でしょうか。それでなんとも楽に読めて、上中下巻全6冊を一気に読破したのでした。

その単行本というのが、文豪谷崎潤一郎が「芦屋」を舞台に描いた小説<細雪>で、昭和初期の
優雅な日常生活の描写に、自分が生まれる直前の時代の情況を見ているような、一種の郷愁を
感じつつ、いつのまにか、頭に想像する小説の中の情景へと惹き込まれていったのです。

●倚松庵(いしょうあん)

今どき、昭和初期頃の<懐景>を探しても、なかなか見つかるものではありません。と、いうよりも
耐用年数をとうに過ぎて、持主が代わって建て替えられたか、自然災害で破壊されたか、
或るいはその他の事情によるからです。

ところが、後世のために残すべき価値ある物件だけは、奇跡的に保存されていて、その中の
一つに、上記谷崎の小説<細雪>の舞台となった<倚松庵>が、神戸市魚崎にありました。

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説明によると、<倚松庵>は松に寄り掛かっている住まいという意味で、松の多い住吉川畔にあるのと、
松子夫人への深い愛を表している。とのことで、谷崎潤一郎はここに昭和11年から7年間住んでいた。

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<倚松庵>をきわめて簡潔に紹介する石碑が門前にあった。


●倚松庵、二階八畳の間

  小説<細雪>に登場する人物・風土・住まい・事件などは、ほとんど事実のとおりに描かれて
いて、倚松庵の各部屋には、物語に描写された一節がそれぞれ壁際に掲示されています。

二階八畳の間は、この屋敷では特上の部屋だとすぐに分かりました。この日訪れたのが、四月も
末で桜花は既に散り、若葉の芽吹く快晴の午前10時過ぎ。長編小説<細雪>は愈々この部屋から
スタートします。

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この部屋の主は次女の幸子(松子夫人がモデル)。幸子は、長女鶴子が継ぐ大阪船場の旧家、蒔岡の
本家を離れ、貞之助を婿養子に迎えて、ここ芦屋に分家している。 当時の家具がそのままの状態に
置かれていて、あのルーペ眼鏡で読んだ、物語の始まる昭和11年にタイムスリップしたかのような錯覚を
覚える。

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「こいさん、頼むわ。___ 」
 鏡の中で、廊下からうしろへはいって来た妙子を見ると、自分で襟を塗りかけていた
刷毛を渡して、そちらは見ずに、眼の前に映っている長襦袢姿の、抜き衣紋の顔を
他人の顔のように見据えながら、
「雪子ちゃん下で何してる」
と、幸子はきいた。
「悦ちゃんのピアノ見たげてるらしい」


これが有名な<細雪>冒頭の一節です。その情景が目に浮かぶようで、小磯良平画伯の
挿絵風に下手な絵筆をとってみました。よく吟味された短い文章に、主たる登場人物の名前が
列挙されて、この屋敷に住む人物構成に興味を惹かれます。

堅苦しい本家を嫌がり、幸子の家に居着いてしまう三女の雪子と四女の妙子、加えて幸子の
娘悦子。それぞれは松子夫人の姉妹と娘がモデルになっています。

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幸子の部屋のこちらが南東側。春の陽光を浴びて庭木の新緑が眩しい。意匠を凝らした建築様式
や建具のあるたたずまいは、それこそ探していた昭和の残像そのままである。


 或る日の朝、一遍に春らしくなった空の色に惹かれて、病室の縁側まで座布団を持ち出して
日光浴をしていると、ふと、階下のテラスから芝生の方へ下りて行く雪子の姿を見つけた。


と、上巻最終章にこのような一節があります。病室というのは幸子の部屋をさしていて、
幸子は身ごもっていた胎児を不注意から流産し、その後無理を押して三女雪子のお見合いに、
神戸まで付き添って、更に体調を崩し、ついにこの部屋で養生をすることになった場面です。

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二階の縁側から、広い庭の芝生がよく見える。折から倚松庵の管理人が芝生の手入れを始めた。


彼女はすぐ、雪子ちゃん、____と、呼んでみようかと思ったけれども、悦子を学校へ送り出した
あとの、静かな午前中の一時を庭で憩おうとしているのだと察して、硝子戸越しに黙って見ていると、
花壇の周りを一と廻りして、池の汀のライラックや小手毬の枝を検べてみたりしてから、そこへ駈けて
きた鈴を抱き上げて、圓く刈り込んである梔子の樹のところにしゃがんだ。


幸子は先日の見合いで、雪子の腹の中の思いを聞こうと、気を揉む場面ですが、雪子という女性は、
日本人形のような美人でありながら、どことなく線が細く、自分の意思を上手く表に出せないタイプ
です。タイトルの<細雪>は、三女雪子のそんなつかみどころのない存在を指しているようです。

ところで、<昭和>を探して巡る「芦屋散歩」、この後もまだ続きます。 乞ふご期待を!








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SEKKI 24 (8)

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ご近所の裏庭に咲いた木蓮の花が雨に打たれて一層色鮮やかに見えます。
四月は雨が多い。田畑に穀物や夏野菜を植えるタイミングに降ってくれる雨を「穀雨」というのは
真に時宜を得ている。


●徒桜(あだざくら)
   
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倉敷川に散る美観地区の桜。 

  あすありと思ふ心の徒桜 夜半に嵐の吹かぬものかは

今年こそは、今年こそは、と、思いながら今年もまた満開の桜見物ができませなんだ。( ;∀;)
貧乏暇なしっていうのか、毎年年度末になると行事が多くてカミさんと予定が咬み合いません。

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境内一面に敷き詰めた桜花の絨毯。(牛窓金毘羅宮)

そんなわけで、漸く桜見物できたのが葉桜になりかけた散り始めの桜花。
はかなくも潔く花吹雪となって散る、あの散り際の風情は、満開の桜よりもいっそう心惹かれます。
ありていに言うと、こりゃあやっぱり歳のせいなんでせうな。(ノД`)・゜・。

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赤茶系新芽と桜花のコントラストが絶妙です。(牛窓金毘羅宮境内)





SEKKI 24 (7)

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「草木清明風光明媚」な時節が到来しました。
画像は絵画教室3月テーマの「色紙に描く水彩画」。モチーフは花瓶に生けた菜の花と大根の花。


●春本番

  春が来た 春が来た 何処に来た??
  婆ちゃんに来た 爺ちゃんにも来た ついに来た~~


てなわけで、待ちに待った待望の春本番がやって来ましたよ。(^^♪
(・∀・)ウン!!?スマホが来たんじゃないのかって?? 冗談じゃありませんぜ!あんなこどもの玩具。

爺ちゃん婆ちゃんが腰屈めてスマホを扱う格好を想像しただけで笑えてきますがな。(((uдu*)ゥンゥン
ガラパゴス製折りたたみ式で十分事足りるし、爺ちゃん婆ちゃんにはこれが一番よく似合うのです。
(^_^;)


●楯築(たてつき)弥生墳丘墓

寒さも暑さも感じない気温は18℃なのですが、三寒四温が続くこの時節、最高気温は12℃~17℃を
行ったり来たりする。冷たい風がなく最高気温も15℃以上となればこの時季もってこいの行楽日和です。


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吉備路サイクリングロードを吉備津神社から備中国分寺方向に走っていると、足守川右岸に小高い丘陵が
見えてくる。これが楯築(たてつき)弥生墳丘墓のある王墓の丘史跡公園である。



弥生も末の六日、曙の空も穏やかな行楽日和に誘われて、出かけたのは岡山と倉敷の境界近くにある
<楯築古代遺跡>。この辺り一帯は弥生時代に造られた数々の古墳が発掘されている場所なのです。

その古墳群の数や規模からみてこの辺りは古代吉備国の中心部で、吉備国こそ大和政権と対等に
張り合えるだけの政治勢力があったと、考えられているのです。


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楯築墳丘墓は今から1700年前の弥生時代後期に造られた首長の王墓できわめて特異な形を
しています。画像は円丘の頂上にあるストーンサークルのような置き石。これは一体何を意味して
いるのだろうか。


楯築遺跡のすぐそばを流れる足守川は下流で笹ケ瀬川と合流しますが、この川にまつわる
<桃太郎伝説>は、大和国から派遣された吉備津彦命が吉備国の温羅を退治する説に
由来します。 それは古代大和政権と吉備国との対立構図になぞらえた話になっているのです。

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謎の山城<鬼の城>と温羅の話は2013/06「吉備路を歩く
(その4)」をご参照ください。

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5個の巨大な立石は矢を遮る楯のように見えるところから、楯築と名付けられたと思いますが、それは
楯ではなく、各部族の長が大首長の亡骸を囲んで弔っているという説があります。

●邪馬台国吉備説?

邪馬台国といえば古代史の謎ですが、女王卑弥呼が統治した国家が日本のどこかにあったことが
中国の史書三国志に記述されています。その謎を解く有力説に九州説と近畿説があります。

古代史の謎を解く鍵は発掘と歴史書解読に頼るしかないのですが、状況証拠と物的証拠を検証して
事実を解き明かすミステリアスは推理小説以上の面白さがあるようです。

邪馬台国の所在についても確定的な物証に乏しく、目下のところ特定されていないために
九州や畿内以外にも諸説あります。その中で邪馬台国吉備説?なる話と結び付けられるのが
この「楯築墳丘墓」の発掘なのです。

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2013年6月、鬼の城跡から眺めた古代吉備国中心部を想像して描いた鳥瞰図。楯築遺跡の位置関係が
よく分かります。大規模な墳墓は盛土が容易な海岸近くに造られた?可能性があります。


昭和51年から同61年の間、岡山大学による調査の結果、楯築墳丘墓は3世紀末に造られ吉備国の
大首長が葬られていることが判明。因みに邪馬台国女王卑弥呼の死も3世紀末と伝えられている。

卑弥呼統治中の邪馬台国は、卑弥呼が用いた鬼道(呪術を司る巫女)によって部族間の争いが無い
平和国家であったが、卑弥呼死後邪馬台国の勢力は、大和政権に滅ぼされたという説があります。
この説を推理していると、何だかあの<桃太郎伝説>が頭に浮かびます。


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楯築遺跡のある王墓公園から東方に、桃太郎のモデルとされる吉備津彦命が山頂に
葬られている吉備の中山(鯉山)がよく見える。王墓公園は馬酔木の花が満開だった。

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同じく王墓公園から北西方向の遠望。高松稲荷の参道にある大鳥居が見えている。この一帯、
古代は海(吉備穴海)だった。

邪馬台国所在解明については江戸期より研究者が多く、諸説あってどれが本当なのか
分かりません。

卑弥呼は姫巫女の発音に似ていると言われるので、吉備津神社の巫女を務める阿曽女
のように、ひょっとして卑弥呼は吉備女ではなかったのか?? なんて推測してみるのも
おもしろい。

ところで24節気は清明、まもなく歴史の宝庫吉備路も春爛漫となります。今年こそは満開の
ソメイヨシノの下で、花見弁当を肴に花見酒としゃれてみたいものですな。(^^♪
いかがですか?ご同輩!










SEKKI 24 (6)

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備前片上を通る旧山陽道に一kmほど続く坂道がある。この道が葛坂峠と呼ばれている。
いまから435年前の6月、羽柴秀吉の軍勢が主君信長の仇討ちに備中高松大返しを
走ったルートである。それから80年経った1660年代、この峠に旅人が休憩できる
一軒の茶屋が設けられた。 (画像は葛坂峠の頂上近く、紅梅が芳香を放っている)


●お夏の墓

 彼岸に墓参りをする風習は日本独自のものらしいが、何でも煩悩と迷いのこの世(此岸)から
修行如何では悟りの世界(彼岸)へ到達できるという教えに基づく話である。
お彼岸になると仏様を供養することで極楽浄土へ行けるということが先祖代々言い継がれて
この習慣が定着した。

ところで、春のお彼岸に先祖の墓参りは欠かせないが、備前焼の郷<伊部>近くに井原西鶴の
浮世草子<好色五人女>でおなじみのお夏の墓地があると知って立ち寄ってみた。

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お夏の死後、人形浄瑠璃をはじめ歌舞伎、小説、オペラ、映画など悲劇のモデルとなった
実在人物の墓は300年の歳月に風化されて墓石の文字も消えかけている。

 お隣の兵庫県に<菅笠節>という民謡があります。

    向こう通るは清十郎じゃないか  笠がよお似た菅笠が~
    お夏いとしや   こっちゃ向け清十郎  あっちゃ向いても清十郎~   

この唄の背景には、実際に起きた或る駆け落ち事件があります。

播州姫路城下の旅籠<但馬屋>にお夏という美人の娘がおりました。或る時、播磨室津に
ある造り酒屋の息子で美男の清十郎が、訳あってこの旅籠の手代として奉公にやって来る。

このお夏と清十郎はやがて恋仲になってゆきますが、今から355年前の1662年、湧きあがる
情念に理性を失い、二人は船に乗って大阪へ駆け落ちをたくらむが失敗に終わります。

捕らえられた清十郎は、かどわかしの罪に加えお店の小判七百両持ち逃げの濡れ衣(内儀の
誤解による)を着せられて即刻打ち首となります。お夏16歳、清十郎25歳の時のことです。

●お夏茶屋跡

事件後、乳母の許へ預けられていたお夏は、清十郎の処刑を知って狂乱し行方をくらませ、
その後姫路城下において誰もお夏の姿を見ることは無かった。と伝えられています。


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葛坂峠頂上近くに今も残るお夏茶屋跡。屋根に落ちた山椿の紅が往時を偲ばせてくれる。

その後お夏は何処へ消えたのか?何故にお夏の墓が葛坂峠のふもとにあって、峠の頂上に
お夏茶屋跡なるものが残っているのか? この疑問に答えてくださった方がいます。

墓地から300mほど離れた場所にある、真言宗御滝山真光寺の境内を清掃に来られていた
備前市観光ボランティアのご同輩がその方で、「定かではないのですが…」と話し始めた。


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茶屋跡の周辺を彩る山椿の花。

「ありゃぁ1662年のことでしたでせうか、少々頭のおかしくなった若い美人の女性を姫路から
身許引受人としてこの片上の地に連れてきたのは、土地の然る有力者でしてな…」

「この有力者がその女を不憫に思ったからか??或いは話題の美人ということで何かに利用
しようと思ったからか??そこんところは推測するしかありませんのじゃがねぇ」

と、まあそういう経緯からこの有力者は峠に茶屋を設け、お夏を看板娘として山陽道を行き交う
旅人相手の商いを始めたようである。

     彼岸花咲く葛坂道は お夏悲恋の峠茶屋
     お夏いとしや恋一筋に  葛の葉陰に火をともす

     寄らしゃりませんかいのう  おやすみなさんせんかいのう
     団子もござりまするえ  甘酒のまんせんかいのう…

これはお夏茶屋跡に掲げられていた唄の一節である。
それにしても、美貌のヒロインお夏とはいったいどんな女性だったのだろうか?

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この画像は西鶴の浮世草子<好色五人女>の中の一話<おさん茂兵衛>を、1954年(昭和29年)
大映が<近松物語>として映画化した一場面。モノクロ作品ゆえに切ない情感がよく表現されている。


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恋多き画家竹久夢二の作品<みちゆき>他。夢二は子供の頃、阿波徳島からやってくる
人形芝居を好んで見ていた。この作品に<お夏清十郎>のイメージがダブリます。


ところで、葛坂道にあった峠茶屋であるが、お夏が若くて色香ただよう内は繁盛した
とのことであるが、お夏が歳を重ねてゆくうちに旅の客足は次第に遠のいていった。

お夏は70歳を過ぎて没するまでこの地で暮らしていたが、それは哀れな末路であった。
と伝えられている。


     陽は早や西の夕間暮れ   歩む女の哀れなる
     向こう通るは清十郎じゃないか  笠がよう似た
     よう似た笠が  菅の小笠がのう…


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「情熱の 炎となりて 燃えつくす お夏みたま ここに鎮まる」
ここより東方2キロの場所へお住まいだった備前焼作家藤原啓の筆による
追悼碑がお夏の墓地にある。





(画像は2017/3/14撮影)




SEKKI 24 (5)

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この時季は冬ごもりの虫が這い出る頃に当たると言われる。そういえば柑橘類を好んで寄生する
カイガラ虫。これを退治するマシン油は遅くとも3月までには散布せよ!とマニュアルにある。
奴らを必殺する術は冬眠中を襲えということだろうね、きっと。(*_*;


●あのBOOMは何処へ??

 今から15年ほど前、それほど広くもない一般住宅の庭にそれまで見たこともない花庭が出現する。
白い斑模様のジギタリス、清楚な青いデルフィニュームなどが咲く本格的な英国式庭園である。
その華麗な西洋文化を間近に見て多くの人がCulturShockを受けた。

折から空前のガーデニングブームが起こり、競うように珍しい花苗を求めては庭に植えて楽しんだ。
あのブームはその後どうなったのだろうか??ブームの行方が気になる昨今ではあるが…。



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つる薔薇やハニーサックルが咲き乱れていた最盛期2012年5月頃の庭。

●庭を解体する

 実は当方もブームに刺激された便乗組の一人ではありますが、庭づくりに熱中したのは2002年~
2012年の10年間。そして2012年~2016年の5年をかけて、想い出の残る多数の造作物を
丹念に解体し、それらに絡まっていた花木類は全て処分しました。

造作の大きなものは、木製や鉄製のオーナメント、トレリス、パーゴラ等々だが、製作した当初から
解体を念頭にすべて<ねじ釘>対応だったので、分解はあまり苦労せずスムーズに済ませました。
釘一本も残さぬよう毎回少しずつ、解体作業はそれぞれの想い出に浸りながら楽しく出来た。

解体した端材は、防腐剤が効いて再利用に耐えられるものが多く、菜園の囲いにしたり、絵画の額縁や
物置の棚や諸々の木工趣味の材料に使った。


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過って庭を飾っていた造作物の端材は、いま菜園で活躍している。


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造作物中最大だったのが庭のゲート。広軌鉄道が走るオーストラリア製枕木6本を門柱にした。
幅5m奥行1.5m高さ2.5mはあった。画像は満開の<ツリガネカズラ>がゲートを覆う2011年5月頃。


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ゲートがあったのはこの辺りで、枕木6本は菜園の囲いとして今でも健在。


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端材の一部や余ったレンガは、菜園の外塀に再利用。


●GardeningBoomの行方?

  ガーデニングをブームと捉えることには異論があると思う。我が家の場合も決して熱が冷めた
わけではなく、庭の管理と畑作業の両立が体力的に無理になったというのが本音です。

 一般のはなしとして、ある時期に加熱していたガーデニングがそうでもなくなった理由のひとつは、
その後盛んになった住宅ブームがあるのでは?と思われる。低利住宅ローンの長期化が後押しして
いるからで、ガーデンよりもインテリアに関心が移行したのでは?とも思われる。

ガーデニングの愉しみは子育てが一段落し、ある程度時間に余裕ができたご家庭に芽生えるもので、
庭趣味ブームの再来を期待しているところです。


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忽然と姿を現した住宅団地。のどかだった田園の景観も年々次第にその姿を変えてゆく。





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プロフィール

Mrトト

Author:Mrトト
名前 Mrトト
自己紹介 
熟年の秋を迎えた筆者が
貧乏ながら気持ちは優雅に
日々の夢想を書き下す日記。
みなさまの暖かいご声援を!

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